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広島高等裁判所 昭和52年(ネ)80号 判決

控訴人 屋地唯一

〈ほか二名〉

右控訴人ら訴訟代理人弁護士 阿波弘夫

同 本田兆司

同 桂秀次郎

被控訴人 中西哲生

〈ほか一四名〉

右被控訴人ら訴訟代理人弁護士 中場嘉久二

主文

原判決を取消す。

被控訴人らは広島県御調郡御調町大字丸河南所在矢賀谷川の上流(同川の中流に控訴人芦田芳松、同屋地唯一、訴外中谷文平及び同藤井操の四名が設置した簡易水道への流水取入口から上流へ約二五〇メートルの地点)に土砂で作った横堰及び同横堰内に埋設した集水タンク(コンクリート製、直径六四センチメートル、深さ五八センチメートルの円筒型、側面に数個の穴、上部にコンクリート製の蓋がある。)を撤去せよ。

被控訴人らは前項記載の流水取入口の上流に控訴人らの用水の妨害となる施設を設置してはならない。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴人らは、主文同旨の判決を求め、被控訴人らは、「本件控訴をいずれも棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、次のとおり附加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人らの主張)

一  藤井澄雄は、昭和四八年一一月二日死亡し、被控訴人藤井和世、同藤井徹眞、同藤井克忠、同藤井卓志及び同藤井令子(以下、右五名を「被控訴人藤井和世ら五名」という。)が相続によりその権利義務を承継した。

二  控訴人らは、先祖代々日常欠くべからざる生活用水を矢賀谷川の流水に求め、他に優先して取水してきた専用水利権者であり、一方、被控訴人らは、本件簡易水道を設置するまでは自宅の井戸水を日常生活用水に使用し何不自由がなかったのであるが、被控訴人らが本件簡易水道施設を設置して取水を始めたために、控訴人らは、日常の生活用水にも事欠く不自由な生活を強いられ、通常の快適な生活を送ることを常に脅かされるに至った。これは、控訴人らの生活権を侵害する不法行為にほかならないから、控訴人らは、被控訴人らに対し、主位的に水利権に基づき、予備的に右不法行為に基づいて本訴請求をする。

(被控訴人らの主張)

右一の主張は認める、同二は争う。

(証拠)《省略》

理由

一  請求原因事実のうち、控訴人らが矢賀谷川の流水につき慣習法上の飲用水利権を有していること、控訴人らが同水利権を有することについては、前件判決が存在すること、被控訴人藤井和世ら五名を除くその余の被控訴人中西ら一〇名、藤井澄雄及び金岡恵量(以下、右一二名を「被控訴人中西ら一二名」という。)が矢賀谷川上流に集水設備を設置し、金剛寺山門下に貯水タンクを設けたこと、藤井澄雄が昭和四八年一一月二日死亡し、被控訴人藤井和世ら五名が相続によりその権利義務を承継したことは当事者間に争いがない。

右争いのない事実に《証拠省略》を総合すると、次のとおり認められる。《証拠判断省略》

矢賀谷川は、御調町丸河南部落に所在する東西に連なる山の沢をほぼ南から北に向って流れる屈曲した狭隘な谷川で、表流水は、降雨後にわずかの期間見られる程度で、平常はほとんど流れておらず、川の途中に数か所設けられた石積みの砂防堰(この地方で「どんど」と称している。)の下部附近にわずかの水量の水溜りないし湿地帯があるに過ぎず、水量の極めて乏しい川である。

同川の中流西側の河床に同川の流水を水源とする古井戸があり、同川流域に居住する控訴人ら三名、被控訴人中村敏雄、同灰谷、中谷文平及び藤井操の各家は、先祖代々古井戸の水を日常生活用水に使用していたところ、中谷家は、日露戦争の頃、藤井家は、昭和二五年以前にそれぞれ自宅に井戸を掘り、その後は旱魃等で井戸水が不足した際、一時的に右古井戸の水を使用することがあったほかは、日常生活用水は専ら自宅の井戸水を使用するようになり、被控訴人中村敏雄は、相当以前から同中村伊勢松方の井戸水を使用するようになり、また控訴人保田は、右古井戸の少し上流の矢賀谷川の上流から樋で直接取水し、利用するようになった。被控訴人中西ら一二名のうち被控訴人中村敏雄、同高寄、同灰谷を除くその余の者は、いずれも自宅に井戸を有し、被控訴人灰谷が前記古井戸を使用していたほかは、被控訴人中西ら一二名は、自宅あるいは近所の家の井戸水を生活用水として使用して来た。また、矢賀谷川の下流にある水田の所有者は、同川の流水を古くから灌漑用に利用していたが、同灌漑は、前記古井戸の下流において、控訴人ら及び被控訴人灰谷が同川の流水を利用した後の余水をもってなされて来たものである。右のようにして控訴人ら及び被控訴人灰谷は、古くから日常生活用水を矢賀谷川の流水に求め、これを長期にわたって反復継続して生活用水に利用し、同流水利用の正当性が周囲の承認を得るに至ったもので、同人らは、他に優先して矢賀谷川の流水を日常生活用水に利用しうる慣行上の水利権を有していたものである。

ところで、昭和三三年に被控訴人中西が中心となって前記古井戸の少し上流の地点から取水して部落の各戸に配水する簡易水道設置の計画が持ち上ったが、水利権者である控訴人芦田らにおいて水利権を有しない者が多数矢賀谷川から取水すると水不足を来たすとしてこれに反対したため同計画は実現せず、被控訴人中西ら一二名のうちの一部の者(被控訴人灰谷を含む。)は、同年九月同川の中流西側にある金剛寺本堂裏の井戸の水を同寺山門脇に設置した貯水タンクに集め、各戸に配水する簡易水道を設置した。一方、控訴人屋地、同芦田は、中谷及び藤井操とともに昭和三四年五月前記古井戸の約六五メートル上流に水利施設(河床に埋設した集水タンクとその下流に設置した濾過槽及び貯水タンク並びに各戸への配水施設よりなる簡易水道設備)を設け、これによって矢賀谷川の流水を飲用等に利用して来た。ところが、金剛寺裏の井戸水を水源とする簡易水道を設置していた者は、昭和三五年七月同井戸からの取水をやめ、さらに他の者も加わり、被控訴人中西ら一二名は、水利権者たる控訴人らの了解を得ることなく、控訴人らの右水利施設の約二五〇メートル上流に横堰を設け、河床に集水タンク(コンクリート製、直径六四センチメートル、深さ五八センチメートルの円筒型、コンクリート製の蓋付き、側面には、横穴があけられ、表流水だけでなく、伏流水も取水する仕組になっている。)を埋設して取水し、その約二〇メートル下流に設置した濾過槽を経て約二〇〇メートル下流の前記金剛寺山門脇の貯水タンクに導水し、被控訴人中西ら一二名各戸に配水する簡易水道設備を設け、矢賀谷川の流水を日常生活用水に利用するようになった。

被控訴人中西ら一二名が右施設により矢賀谷川より取水するまでは、控訴人らは、飲用等のために必要とするだけの量の水を矢賀谷川より確保しえていたのであるが、右取水後は、被控訴人中西ら一二名の前記取水施設より下流に流下する水量が減少し(控訴人らが行った水量調査によれば、控訴人らと被控訴人らの取水量の比率は、大体一対四である。)、控訴人ら方の簡易水道の水圧が下り、特に渇水期において矢賀谷川の水量が減少したり、正月、盆、祭り等で水の需要量が増加したりすると、控訴人らは、必要量を取水しえないことがしばしばあり、控訴人らが取水確保のため被控訴人らの取水堰を切ると、被控訴人らが再び堰を築くという争いが度々繰り返されており、特に昭和四二年、四八年及び五三年の夏は降水量が極めて少く、控訴人らの集水タンクがほとんど空になる事態が生じ、そのために控訴人らと被控訴人らとの間で右取水堰築造をめぐって深刻な争いが生じ、警察ざたにまでなった。また、昭和五三年八月末には、控訴人らは、取水確保のため被控訴人らの取水口の上流約一〇メートルの地点にパイプを敷設し取水を始めたところ、一部の被控訴人らは、さらにその上流にパイプを延長して取水し、控訴人らの取水を妨害し、取水をめぐる両者の争いは増々緊迫化し、同年九月三〇日控訴人らの申請に基づき被控訴人藤井和世ら五名及び同高寄を除くその余の被控訴人らに対し、「同被控訴人らは控訴人らの右パイプ敷設地点のさらに上流から取水する等して控訴人らが右地点から水道管をもって取水するのを妨害してはならない。」旨の仮処分命令が発せられるに至ったが、同命令は、履行されなかった。

なお、その間昭和四六年一二月二七日言渡の前件判決により控訴人らが被控訴人灰谷とともに矢賀谷川流水につき飲用水利権を有すること、中谷及び藤井操が飲用並びに灌漑水利権を有しないことがそれぞれ確定された。

以上のとおり認められる。

以上によれば、控訴人らは、被控訴人灰谷とともに他に優先して矢賀谷川の流水を日常生活用水に利用しうる慣行上の水利権(専用権)を有しておるところ、専用水利権者が第三者からその水利権を侵害されたり侵害されるおそれある場合に侵害排除ないし予防の物権的請求権を有することはいうまでもないし、被控訴人灰谷のように同様な水利権を有する者といえども、控訴人ら他の水利権者と水の管理、利用につき相互に対等な立場で協議決定する資格はあるが、既存の水利施設とは別に協議なくして一方的に新規に堰を築造する等して他の水利権者の権利を侵害することは許されず、協議なくしてかかる行為をなしたり、なすおそれある場合には、当該水利権者に対し他の水利権者は、原状の回復ないしかかる行為をなさない旨の不作為を求めうるものと解すべきである。

しかるところ、前記認定の事実によれば、被控訴人中西ら一二名が控訴人らの了解を得ないで、控訴人らの取水取入口の上流に共同で取水堰及び取水タンクを設置して取水したために控訴人らにおいてその必要とする量の生活用水を確保しえない事態が生じたのであって、被控訴人らの取水設備の設置及び取水行為は、控訴人らの水利権を侵害するものというべきである(控訴人屋地、同芦田は、前記のとおり非水利権者たる中谷及び藤井操とともに前記取水設備を設置し、同人らにも流水を利用せしめているが、この事実は、なんら右水利権侵害の判断を左右するものではない。)。

被控訴人らは、矢賀谷川の余水を利用しているのみで、控訴人らの水利権を侵害していない旨主張するが、前認定のとおり控訴人らにおいて水利権に基づいて流水を利用していたところ、被控訴人らは、その流水取入口より上流に取水施設を設置し、控訴人らに先立って取水するようになったのであって、被控訴人らの流水利用をもっていわゆる余水利用と目しうるものでないことは明らかであり、右主張は採用できない。

また、前認定の矢賀谷川の取水をめぐる控訴人らと被控訴人らとの間の紛争の経過に照らし、被控訴人らにおいて将来控訴人らの流水取入口の上流に控訴人らの用水の妨害となる施設を設置するおそれなしとしないものと認められる。

二  以上の説示によれば、矢賀谷川流水の飲用水利権に基づいて被控訴人らに対し前記横堰及び集水タンクの撤去並びに用水妨害施設の設置禁止を求める控訴人らの本訴請求は、いずれも理由があり、これを棄却した原判決は、失当であるから取消し、右各請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 胡田勲 裁判官 土屋重雄 高升五十雄)

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